それを声に出せるのならば

日記のようなものを書き始めてひしひしと実感することのひとつに、「言葉にする」ということの効果がある。頭の中でもやもやとしている事柄を、こうして言葉にすることによって、自分自身で改めて理解できる。シンプルだけどそんな話だ。
 
そしてもうひとつ気付いたのが「文章」にすることで得られる効果は、往々にして論理的な部分に限られること。誤解を恐れずいうと、左脳的な領域だけが効果を得ている気がする。そして、右脳的な部分。感情的な価値判断を伴う事柄は、「声に出す」ほうがよいフィードバックを得られる。(色々と危なっかしい領域に足を突っ込んでいることは自覚しているが、あくまで主観的な戯言です。)
 
書いたものをそのまま音読するだけで、なにかしら違った印象になる。文章から言葉へと手触りが変わる。例えば今回のエントリは音読したうえで極力フラットな印象になるように調整をしているが、どうだろうか。信頼の置ける第三者に意見を求めることができればきっとより良いのだろうけれど、まあブログなんかだとそうもいかない。
 
感情的なことは書くだけよりも、声に出したり、聞いたりすることで理解が深まる。あくまで自身の体験談だし、こう書いてみると当たり前だなとも感じるが、それだけに一般的なことではないだろうか。
 
そしてこのことが、最近色々なところで見受けられるSNS上での誹謗中傷問題を抑制する方法に使えないかな、とぼんやり思う。投稿前に確認画面を挟むなどの対策が既に取られているが、例えばヘイト的な文脈が検知された場合は最終確認で音声入力をさせる、という方法はどうか。声に出すことで、今自分が一体何を言おうとしているのか、ということを改めて認識させる。口に出すことも出来ないぐらいの言葉を投稿しようとしていた、と気付くきっかけにならないか。
 
実際の所、みんなSNSに投稿する時はどうしているのだろう。自分はさすがに口に出すとまではいかないが、たいてい頭の中で音読していて、そのタイミングで自分の攻撃性に気付くことが偶にある。これまでのところは何とか踏み止まれているのではないかと思っている。
 
まあ無責任な与太話なので笑い飛ばしてもらいたいが、と言うかここまで書いて気付いたが、逆に声に出すことで感情がそのまま悪い方に増幅される可能性もあり得る気がする。自分自身を思い込ませて洗脳する、みたいな効果。むしろ自己啓発的な手法でこっちの方がありそうだな。あっさり駄目かも。
 
パッと気持ちの良い結論には至れないが、そんなことを考えたという記録である。