元大阪市民が大阪都構想について思うこと
本日住民投票が行われる大阪都構想(大阪市を廃止し特別区を設置することについての住民投票)、とにかく混沌としている。主にコストを中心としたメリット/デメリットについて両陣営から激しい鍔迫り合いの様相だが…このロジックを土俵にした議論については、基本的に反対派の意見が正しいのだろう。
また一昨日だったか、市財政局長が移行に伴うコストについて「虚偽であった」と謝罪会見を開く自体となっている。この構図がとにかく醜悪であり、この一点だけで色々と判断はつきそうなものであるが…
しかしそれでも。恐らく可決されるのではないかと思う。あまりにもまとまりを欠くが、元大阪市民で今も「大阪人」をアイデンティティとして持っている30代男性のいち意見として記録しておく。あくまで私見であり、何かしらの調査やファクトに基づいたものではないことだけ付け加えておく。
・よく「賛成派はしっかりと中身を理解していない」ということを…特に先生方は仰るが、そうでもないと思う。少なくとも、大阪市廃止によって「どうやら余計なコストがかかるらしい」「二重行政の解消で直接的に財政が改善することもないらしい」という程度のぼんやりとした認識はあるのではないか。しかしそれでも賛成する市民がいる。それは何故か?「ほな先生がたは何をしてくれはるん?」という思い故にだ。不信感と言ってもよい。130人もの学者先生並べはるけど、まあみんな批判ばっかりしはるねえ…なんか感じ悪いねえ…
・あと悲観的な未来をたくさん並べられても、でもそうなると決まったわけじゃないよね?と思ってしまう。賛成者は大阪都構想に「不思議の勝ち」を求めているのであり、そしてその可能性は大いにあるのでは?と考えているのです。バカなことを言うなと言われるのは百も承知だが、学者がそんなに賢く、有能であるのならば、なぜバブル崩壊は予期できなかったのか?リーマンショックは回避できなかったのか?コロナパンデミックは回避できなかったのか?それらの大いなる危機を回避できなかったのだから、今回あなた方が予想している不幸な未来も「当たるも八卦当たらぬも八卦」以上のものではないのでは?
・少なくとも経済的な成長うんぬんは、人々の営みは、割と気分とか雰囲気で変わるんじゃないですかね?ご祝儀相場とか言うし。知らんけど。
・コロナ禍の最中にこんな住民投票なんて馬鹿げている、というような批判も聞いた。実に真っ当な意見だと思うが、しかしこの「なんとなく雰囲気だけは抑え込めているような気がする」というタイミングは、維新にとってはベストだと言ってもよい。なぜならば大阪市のコロナ陽性者数は累計でいまだ6700名以下であり、これは市人口の0.25%に満たない。家族や友人など含めても、どう考えてもコロナを身近に感じた人の方が少数派である。とすればコロナ禍で彼らが受けているのは、医療にまつわる問題ではなく気分としての「閉塞感」が一番大きいのではないか。そうするとこの都構想なるものが、閉塞感を取り払ってくれる変化になるかもしれない。
・そういった一抹の期待を抱いて投票することはいたって自然なココロの動きであるように思う。だからこそ、維新は未来の話ばかりをしている。
「大学進学の際に越してきたので、綺麗な西成区しか知らない。」ってんなわけあるかと思うし、しかもこの辺とか言ってる場所は「てんしば」で天王寺区やないかい、という風にツッコミどころ満載だが、そんな人間が読んでも、不思議なことに明るい未来があるのかも?というふうに情緒をくすぐられる。意外なことに、反対派の言う「大阪市を無くすな」という声よりも、賛成派の方がウェットで情緒に訴えかける声に聞こえてしまうのだ。
・というわけで投票権は無いが、もし今回投票できるなら賛成かな…と考えている。(ちなみに5年前の投票では反対に投じた)あとそっちの立場からもウェットなことを言うんかいと思われるかもしれないが、もし「大阪府」が「浪速府」とかで「大阪」という名称そのものが無くなる、という事態だったら反対したかもしれない。
・結局いろいろと感覚で判断するんだな、という自分自身に少し狼狽えている。
(開票までに時間があれば追記するかもしれない)