馬の骨/燃え殻
2020年6月3日の夕焼けが大阪ではとても美しかったようで、何人かの友人がインスタのストーリーに写真を上げていた。翻って東京はここのところもう梅雨入りをしたのかのような空で、そんなことから否応なしに離れてしまったことを実感する。スマホ越しに見える夕焼けは確かにとても美しく、そして同時に、とても寂しかった。
キリンジ堀込泰行のソロプロジェクト「馬の骨」に「燃え殻」という曲がある。見た目のインパクト(ジャケットも字面も両方とも)に反して淡々と柔らかく、大人の哀愁が紡がれた名曲。タイトルの燃え殻とは「愛の燃え殻」のことであって、長く関係を築いてきた二人に訪れた落日がここでは描かれている。
熟れすぎた赤い陽が落ちる
僕たちの今が
変わろうと どこへ行こうと
あの日のように
この「熟れすぎた」という言葉のチョイスが天才でしかなくて、泣きのメロディと相まってそれはもう鮮やかに画が浮かぶ。沈む夕陽をもって別れを表現するというのは割と常套手段だけれど、この修飾語が二人の関係性まで言い表してしまっているがゆえに、私たちの脳内にはきっちりと大人のカップルが登場するのだ。長い年月を経て愛を育んできた、まるで夫婦のような、もしかすると実際に夫婦だった、そんな二人の姿。
こういうと陳腐かつセンチが過ぎるが、彼らの眼前で沈みゆく「熟れすぎた赤い陽」ってものは、きっとこんな色を、2020年6月3日の大阪の夕焼けのような色をしていたのだろうと思う。それほど妙に沁みてしまったのだから、どうか許してほしい。
グッバイ マイ レイディ
愛の燃え殻を
涙が壊しそうさ
激しいスコールのように
東京には望んで来た。それなのに見知った景色が赤く染まるさまに、どうしようもなく寂しさが募る。故郷の大阪に焦がれて行き場のない燃え殻がどうにも燻ったまま、私は親指をスマホ画面から離せないでいる。