銭湯の話

 近所に潰れた銭湯がある。近所というか家のほぼ斜向かいにある。
 
 青色のタイルと吹き付けのモルタルが印象的なその外観は、今となっては一周回ってお洒落な雰囲気である。併設のコインランドリーだけはまだ営業をしていて四六時中洗剤の香りが漂っており、間違いなく洗剤の香りなのに、なぜかどことなく「銭湯の匂い」のように感じられる時がある。
 
 小学生のころ、仲間内で銭湯ブームがあった。湯と石鹸とシャンプーとオッサン愛用のトニックと謎の整髪料とタバコで構成される、形容し難い匂いが漂う脱衣所。足元は藤か竹かのゴザ床。端の塗装が剥げて割り箸みたいにささくれた木製ロッカーは大抵ひとつふたつ壊れていて、鍵を挿さなくても空いてしまう。片隅に据えられた革張りのマッサージチェアはとんでもなく脂臭く、じゃんけんで負けた奴が嗅いではゲラゲラ笑っていた。90年代後半の記憶である。番台近くにある冷蔵庫には「みかん水」というよくわからない飲み物が置いてあって、60円で買えるそれを好んで飲んでいた。高学年になるにつれて飲み物は珈琲牛乳に移行した。パックもあったけれど瓶のほうを好んで飲んだ。なんとなくそれが風流なことだと思っていたから。
 
 もう足を踏み入れることのできない銭湯の存在を通じて、ふっとそんなことを思い出した。この年季の入りようだから、きっと思い出のあの銭湯と似たような空間だったんだろうなあと勝手に思う。そして最後に銭湯に行ったのはいつだったけな、としばし考えた。2020年の年明け頃が最後だろうか。
 
 銭湯が好きだった。それは間違いない事実として言い切れる。では今はどうか、と問われると難しい。ソーシャルディスタンスが確保できる銭湯であればあるいは。しかし、それはもはや銭湯ではないように思う。
 
 ここから銭湯の文化的価値がどうの、という方向に持っていく力量も熱量もない。社会が変わると同時に自分自身も割と変わってしまった。かつて「銭湯が好きだった」という、ただそれだけの話である。少し寂しさを覚えたので記しておく。