ほんのりと怖い武勇伝の話
大阪の南のほうのベッドタウンに住んでいたのだけれど、地域柄もあってか、やんちゃなことが武勇伝として持て囃される風習があり。その中の1つに、人の住んでいない廃墟(と思しき建屋)を探検するという、まあ完全なる不法侵入を伴う蛮行があった。中学生の頃の話である。時効がどれぐらいのものか知らないが許してほしい。最もグレードの高い訪問先は大和川沿いにあるとされるリバーサイド病院で、かつて精神病の患者が入院していて色々とよからぬ事件があったなどと噂されていた。1つ上の学年で中学最強の呼び声高い某先輩が原チャで行ったら手術室は血まみれで注射針とメスが大量に散乱していたらしいで。と、まことしやかに囁かれていた。どこからどこまで本当か嘘か分からないものだが、そのような評判を聞くにつけて、ご多分に漏れずスゲーと思っていたのである。
さて、さすがにそんなハードなところを訪れる勇気はないが、やんちゃに憧れるばかりの年頃花の14歳である。ある日のこと、友人が兄から聞いたという校区外の廃アパートへと出向くことになった。確か4~5人だったと思う。夏まっさかりの灼熱の昼間、ダラダラと自転車をこぐこと、わずか10分。しかしその近さとは裏腹に目の前にあらわれた2階建てのアパートはなるほど廃墟のようで、正面玄関の両開きの扉には鎖と南京錠がガッチリと掛けられていた。どこから入るか一瞬案じたものの、玄関脇の建屋と隣接する壁の間をすり抜けて回り込むと、ちょうど玄関の真裏に錆びて茶色く染まった非常階段がある。案の定ギシギシと軋むが、それもまた楽しくワーワー言いながら登る。しかし2階裏口の扉は閉まっていて、これはどうやら入れなさそうだな、と思い階段を降りた。すると当然ながら1階にも裏口の扉があり、友人が手をかけるとあっけなく開く。階段があると登りたくなるのが14歳である。
アパート内部は内廊下になっていた。左右にそれぞれ3~4つほど扉が並んでいたように思う。薄暗い廊下の奥、正面玄関の摺りガラスから光が洩れてそこだけが明るく、左右の扉は暗く禍々しく佇んでいる。扉一枚隔てた向こうの世界に何かが住んでいるかもしれない。そう思うと途端に恐怖を感じて、数秒立ちすくんでいた。しかしまあ、そこは若さである。全員が全員に「ビビッてんちゃうぞ」「誰がや!ビビってるんは○○やろ!」などの虚勢を精一杯かましながら、扉をひとつひとつ確認した。ぜんぶ鍵が掛かっていて、今度こそ残念ながら中には入れなかった。内心ほっとしながら好奇心で、ある部屋の扉の隙間から中を覗き込んでみる。
天井から、無数の白い紐が垂れ下がっていた。家の照明を点けたり消したりするときに引っ張るアレを想像してもらえると丁度良い。おびただしい本数のそれが天井から垂れ下がっている。そしてその部屋の奥の壁には、青空をバックに飛ぶ飛行機の絵が飾られていた。ひょっとすると写真だったかもしれない。その青を背景に、白い紐はとても鮮やかに浮かびあがっていた。恐怖よりも先に謎の魅力を感じたのは、今にして思うとある種の現代アートのようだったからかもしれない。
一拍置いて不気味な感じがやってきて、おおっと声を上げた。すると周囲に居た仲間も集まってきて、かわるがわる中を覗く。みんな一様に、恐怖というよりも感嘆のように「すげえ」「うわっ」という声を漏らす。なんだろなこれ、この部屋の扉開かないのかな、など言いながら盛り上がっていると、突然。正面玄関の扉がガンガンガンガンと音を立てた。ただひたすらにビビった私たちは一目散に裏口扉を抜けて駆け回り敷地の外へと走り出た。息を切らして半分涙目になっているところに、けらけらと笑いながら一人の友人が遅れてやってきて「ごめんごめん脅かした!!俺!!」と言う。どうも扉の隙間を覗いている間にこっそり抜け出して正面玄関に回り込んだらしい。「なんやねんお前、やめろやー!」「しばくぞー!」と心底ほっとしながら口々に罵りあい、落ち着くまでしばらくやいやいと過ごしていた。
口火を切ったのが誰だったか、定かではないがひとりが言った。「あの白い紐の部屋ヤバかったなあ。」「ホンマやで。」「あれひょっとして首つりとかした後ちゃうん?」「あんな細い紐やったら無理やろ!やめろやー。」夏の午後の陽は長く、まだ元気満々といった様子でカンカンと射している。その暑さが効いたのか、私たちは次第にやんちゃに憧れる中学生に戻っていった。この経験はまあまあ凄いぞ。今度誰それに言ってまた連れてこようぜ。ある種のアトラクションを終えた後のような心地よい興奮と、謎の一体感に包まれながら、ダラダラと自転車をこいで帰路につくのだった。
しばらくの間、この日の面々はヒーローだった。無数の白い紐が垂れ下がる謎の部屋、という話題はそれなりに不気味でそれなりにキャッチ―で、すげー、めっちゃ勇気ある、次はリバーサイドやろ、など賞賛と囃し立てる声を受けて十分に気分良く過ごした。当然ながら廃病院なんてモノホンに出向く勇気はなく、私たちのやんちゃ武勇伝はこのひとつで幕を下ろすこととなる。ただ噂は広まるもので、自分たちの下の学年にも伝わっていると聞きまた鼻高々になるのだった。知らんふりして弟から聞き出したその噂は、確かに私たちの冒険談だった。ただ一点、白い紐という点では一致しているのだけれど、背景の絵だけが違っていた。弟いわく、壁には真っ赤な絵が飾られていたらしい。なんかおかしいなと思ったが、きっと勝手に怖いように変わっていったのだろう。
それからもう20年ほどが経ったが、あの日の友人には、飾っていた絵の話は結局聞いていない。もしかしたら全員違う絵を見ていたのかもしれない。そう思って時折ゾクッとするぐらいが、今となっては心地良かったりもする。
2021年がおっかなびっくりと始まった
2021年がおっかなびっくりと始まった。そしてそれは今なお続いている。
12月に入ってもじりじりと増え続けていく感染者数と陽性率に不気味な感覚を覚えて、帰省を諦めた。友人と「出来ればよいね」と言っていた忘年会も同時に諦めてリモートへ。12月20日ごろだったか。気分だけでも店の感じがいいな~と思い近隣のお好み焼き屋でテイクアウトを頼み、引取りに出向くとほぼ満席。忘年会と思しき8人前後のグループが2組。カウンターもせいぜい2~3席の空席を残して綺麗に埋まっている。席が間引かれているわけでもないし、申し訳程度の間仕切りすらない。くらくらとしながら頼んでいた商品を受けとる。お好み焼きは普通に美味しいのだけれど、もう二度と行くことはないな、と思う。
2020年最終日。東京の1日あたりの感染者数が1000人の大台をついに超える。フィクション染みた流れに完全におののいて、物忌み生活がスタート。おかげ様で箱根駅伝を完全に通しで観ることに成功するも、沿道に繰り出している人々にぞっとする。正直なところ、沿道に出て走っている様子を観たいという気持ちは(近隣に住んでいるのであれば…)分からないでもないが、カメラに向かって手を振る面々の神経はまったくわからない。怖くないのか?コロナが、というよりも、批判されることが。
そこではたと、いま自分自身が恐れているのはコロナそのものというよりも、コロナ禍において自分と違う振る舞いをしている人間ではないか、と思い至る。
先日「正しく恐れる」という言葉について言及する記事を読んだ。その中身とは直接関係ないが、この「正しく」という部分が、いまとても怖い。正しさというのは往々にして主観的な尺度で、定量化できないものごと(それは例えば未知の病に対する恐れだとか)に対するその不安定さと裏腹に、どうにも言葉として強すぎるからだ。自分自身にとっての正しい恐れは、ある人にとっては全くもって正しくなかったりする。そんなことは普通に起きるが、そうなると正しさという言葉は容易に対立を生む。「正義の反対はもうひとつの正義」とはよく言ったものだなと思う。
2020年の一年間で私たちはコロナに慣れ過ぎてしまった。恐れが慢性的になり過ぎて、一人一人に考える時間と材料が与えられ過ぎて、結果ばらばらの方角に無数の「正しさ」が出来上がってしまった。そしていま各々が信じるところの正しさに向かって、その歩を進めつつあるように思う。一部の急進的な人々以外はまだ足元がおぼつかないからゆっくりとした動きだけれども、このまま時が過ぎると、自分自身の正しさと別の正しさとの間を行き来することが困難になる気がする。そして、それは分断と呼ばれるものであろうと思う。
そもそも、いつのまにか自分自身も東京の1日あたりの感染者数が1000人を超える程度では驚きもしなくなってしまった。もしも2020年4月ごろの自分がここに現れれば、自分vs自分の舌戦が繰り広げられることだろう。それぐらいに世の中は大きく動いてしまっていることを、胸に刻んでおく必要があるように思う。正しさという主観的な基準を妄信してしまわないように。
だから。抱負というほどでもないが、今年は様々なことに慎重であろうと思う。出来るだけ時間をかけてものごとを考える。特に「正しい」とか「正しくない」とか、そんな言葉に対しては要注意のスタンスで臨みたい。カメラに向かって手を振っていた人々から見れば、おっかなびっくり引きこもり生活を送っているこちらが奇妙な、正しくない生き物に見えるはずだから。
風車が恰好良いという話
伊豆半島、三筋山。予想に反して9割以上が舗装路の山道に、いい加減辟易とした頃。ぱっと視界が拓けて一面に金色の草原があらわれた。そして遠くに佇む巨大な構造体。風車である。半数ほどは回り、半数ほどは止まっていた。低山とは言え初冬の空気は静かに冷えて、時折射す陽がとても暖かく貴重に思える。ふいに強い風が吹きつけてススキが波を打ち、パラグライダーを楽しむ一行がタイミングを計って飛び立っていった。私はマウンテンパーカーのジッパーを一番上まで閉めて、風が強かろうと弱かろうと、まったく変わらずに回ったり止まったりしている風車を眺めていた。そして本当は、これらは風で動いているのではなく、なにか意思を持ってそのようにしているのではないかとぼんやり思った。
銭湯の話
元大阪市民が大阪都構想について思うこと
本日住民投票が行われる大阪都構想(大阪市を廃止し特別区を設置することについての住民投票)、とにかく混沌としている。主にコストを中心としたメリット/デメリットについて両陣営から激しい鍔迫り合いの様相だが…このロジックを土俵にした議論については、基本的に反対派の意見が正しいのだろう。
また一昨日だったか、市財政局長が移行に伴うコストについて「虚偽であった」と謝罪会見を開く自体となっている。この構図がとにかく醜悪であり、この一点だけで色々と判断はつきそうなものであるが…
しかしそれでも。恐らく可決されるのではないかと思う。あまりにもまとまりを欠くが、元大阪市民で今も「大阪人」をアイデンティティとして持っている30代男性のいち意見として記録しておく。あくまで私見であり、何かしらの調査やファクトに基づいたものではないことだけ付け加えておく。
・よく「賛成派はしっかりと中身を理解していない」ということを…特に先生方は仰るが、そうでもないと思う。少なくとも、大阪市廃止によって「どうやら余計なコストがかかるらしい」「二重行政の解消で直接的に財政が改善することもないらしい」という程度のぼんやりとした認識はあるのではないか。しかしそれでも賛成する市民がいる。それは何故か?「ほな先生がたは何をしてくれはるん?」という思い故にだ。不信感と言ってもよい。130人もの学者先生並べはるけど、まあみんな批判ばっかりしはるねえ…なんか感じ悪いねえ…
・あと悲観的な未来をたくさん並べられても、でもそうなると決まったわけじゃないよね?と思ってしまう。賛成者は大阪都構想に「不思議の勝ち」を求めているのであり、そしてその可能性は大いにあるのでは?と考えているのです。バカなことを言うなと言われるのは百も承知だが、学者がそんなに賢く、有能であるのならば、なぜバブル崩壊は予期できなかったのか?リーマンショックは回避できなかったのか?コロナパンデミックは回避できなかったのか?それらの大いなる危機を回避できなかったのだから、今回あなた方が予想している不幸な未来も「当たるも八卦当たらぬも八卦」以上のものではないのでは?
・少なくとも経済的な成長うんぬんは、人々の営みは、割と気分とか雰囲気で変わるんじゃないですかね?ご祝儀相場とか言うし。知らんけど。
・コロナ禍の最中にこんな住民投票なんて馬鹿げている、というような批判も聞いた。実に真っ当な意見だと思うが、しかしこの「なんとなく雰囲気だけは抑え込めているような気がする」というタイミングは、維新にとってはベストだと言ってもよい。なぜならば大阪市のコロナ陽性者数は累計でいまだ6700名以下であり、これは市人口の0.25%に満たない。家族や友人など含めても、どう考えてもコロナを身近に感じた人の方が少数派である。とすればコロナ禍で彼らが受けているのは、医療にまつわる問題ではなく気分としての「閉塞感」が一番大きいのではないか。そうするとこの都構想なるものが、閉塞感を取り払ってくれる変化になるかもしれない。
・そういった一抹の期待を抱いて投票することはいたって自然なココロの動きであるように思う。だからこそ、維新は未来の話ばかりをしている。
「大学進学の際に越してきたので、綺麗な西成区しか知らない。」ってんなわけあるかと思うし、しかもこの辺とか言ってる場所は「てんしば」で天王寺区やないかい、という風にツッコミどころ満載だが、そんな人間が読んでも、不思議なことに明るい未来があるのかも?というふうに情緒をくすぐられる。意外なことに、反対派の言う「大阪市を無くすな」という声よりも、賛成派の方がウェットで情緒に訴えかける声に聞こえてしまうのだ。
・というわけで投票権は無いが、もし今回投票できるなら賛成かな…と考えている。(ちなみに5年前の投票では反対に投じた)あとそっちの立場からもウェットなことを言うんかいと思われるかもしれないが、もし「大阪府」が「浪速府」とかで「大阪」という名称そのものが無くなる、という事態だったら反対したかもしれない。
・結局いろいろと感覚で判断するんだな、という自分自身に少し狼狽えている。
(開票までに時間があれば追記するかもしれない)
8月のダイジェスト②
■8/23(日)
・午前中はゲリラ豪雨。午後は久し振りに髪を切りに行った。夕食を作ると宣言し、取り掛かるのは麻婆豆腐。
作るのは2回目。今回も参考にするのはこちらのレシピ。前回の申し送り事項をきちっと消化。ニンニクの芽に豆鼓も加えて、かなりのラインまでたどり着けたと思う。次回はいよいよ絹豆腐でチャレンジをする予定。木綿でこの崩れっぷりだが、結果はいかに。
・夕食後はSAKANAQUARIUM光を観る。素晴らしい出来映えで震えた。ただライブを配信するのではなく、映像=モニター越しでしか出来ない演出をふんだんに加えた意欲作。これまでなんとなくテレビ業界にしか出来ないのだろうな、と思っていた部分が個人的にはひっくり返った。コロナ禍は映像業界の進化を加速度的に進めることになるのかもしれない。知らんけど。
■8/24(月)
・罠にハメられた地雷案件、週末に聞いていたよりさらに酷い状況であることが全体打合せでよくわかる。午後はひたすらリカバリ作業に徹する。
■8/25(火)
・この日も地雷案件。社内A氏より社外パートナーに失礼&意味不明なメールが投げ込まれて、焦って火消しの電話。以降当該パートナーとのコミュニケーションは全て引き取る。
■8/26(水)
・地雷案件。影も形もない企画書をイチから作りはじめる。このあたりから、何で安請け合いをしたのかと後悔をしはじめるが、同時に沸々と怒りがわき、最終的には責任なんて取らんぞ、と開き直りの境地に至る。
■8/27(木)
・ZA(Zirai Anken)。ダイジェスト版を1ヶ月後に残しているからこんな書き方もできるが、当時は結構ガチ切れ状態だった。記録によると朝7時前から作業をしていた模様。翌日は別件で終日埋まっているため、出来るところまでやり切ってパスを終える。
■8/28(金)
・所用で久方振りの外出。出先で見かけたビルがとんでもなく可愛くて思わず足を止める。
キュートすぎませんか。ホテルフクラシア晴海(←旧晴海グランドホテル←旧旧ホテルデン晴海)ということで、現役のホテルだそう。あまりにも痺れたのでtweetすると友人がこのビルを知っており、最高の書籍を紹介してくれた。
honto.jpなんと表紙!!ということで秒でポチる。地雷案件でギスギスしていた心に潤いが戻った。コンクリートから人へ、予期せぬプレゼントである。
■8/29(土)
・午前中に早速本が届く。心に潤いは戻ったものの、地雷案件はまだ解決を見ない。一応終わりは見えているので、嫌々ながらも仕事をこなす。
・ストレスには肉!ということで家焼肉。辛辛屋さんの要予約テイクアウト、神々しき焼肉セット。
どれも最高にうまい。そして何気に嬉しいのが、9種類すべて4切れ前後でボリュームが丁度よいこと。わが家の家焼肉の正解はこれかもしれない。
■8/30(日)
・日曜日?なにそれ?とばかりに地雷処理。ストレスには濃い味ラーメン!ということで武蔵小山の明星飯店さんへ初訪問。
味噌ラーメンがとても美味そうだったので決め打ちである。本当ならビールも頼みたいところ、グッと我慢。
完全に欲していた通りの味で心の中でガッツポーズ。あっという間に食べ終えて帰路につく。お店はかなり常連さんに愛されている雰囲気でややアウェイ感もあるが、ぜひまた訪れたい。
■8/31(月)
・地雷処理最終フェーズにて、久方振りに出勤。まあなんというか空中分解寸前、といったところ。心苦しさを覚えながらもギリギリ凌ぐ。
・新橋駅ナカに面白いガチャコーナーが出来ていることを知る。
疲れた顔したリーマンたちが光に群がる虫のごとく、ふらふらと引き寄せられていく不思議な光景。
ご多分に漏れず引き寄せられるとカリモクのミニチュアなどがあり、普通に欲しいとなる。座っているワニは要らねえな。。ものすごく久し振りに存在を確認した気がする。
8月のダイジェスト①
1ヶ月空くとさすがに記憶が薄い。ダイジェスト版で日々をつづる。これはもはや日記ではなく月記。
■8/9(日)
・デイキャンプに向かう。場所は青梅市の河辺下グラウンド。多摩川河川敷のやや上流部である。気持ちだけでも涼しいといいな、と思ったらほんとに気持ちだけしか涼しくなかった。(要するに灼熱だった)
・暑さは全然変わらなかったが、ここまでくると多摩川の水が綺麗だった。ボートやライフジャケットで川下りを楽しんでいるグループも多く、アクティビティとしては圧倒的に正しいなと思いながら茹だっていた。時折、膝ぐらいまで浸かりにいって涼を取った。
■8/10(月)
・夕方に勢いで蒲田まで走った。往復15kmほど。湿度がすごくてサウナに入っているみたいだった記憶がある。
■8/11(火)
・在宅ワーク。お盆時期ということもあって作業が少なく快適。TVで甲子園交流試合を観ながら仕事をしていた。どちらがメインだったのかすら怪しい。
■8/12(水)
・この日も前日と同様。智弁学園vs中京大中京が熱戦でうるっとするなど。
■8/13(木)
・お盆休み初日。奥さんは仕事だったので、久方振りに登山。大倉尾根を詰めて塔ノ岳~丹沢山へ。雲が全力で夏を演出してくれる良い山行だった。丹沢山は眺望こそないけれど塔ノ岳からの稜線は最高に気持ちが良くて、「登山やっててよかったな~」とシンプルに思わせてくれる名コースです。
・帰宅してからは近所の焼きとん屋でフィニッシュ。「登山やってよかったな~」とシンプルに思わせてくれる瓶ビールです。
■8/14(金)
・お盆休み2日目。とは言え今年はお盆らしい何かがあるでもなく。西小山の方で塩ラーメンを食べて、かがた屋さんで「田酒」を購入した。帰省の代わりとして父に送る。
■8/15(土)
・お盆休み3日目。友人夫婦の入籍祝い。時世もあり色々と悩んだけれど、折角だしとのことで中目黒の「鳥よし分店」へ。
・きちっと仕事をされた串をいただける良店。もう少し安ければ…と思わないでもないが、良いお店です。
■8/16(日)
・お盆休み4日目。朝はトシさんでモーニング。その後帰宅。翌日からの一泊二日キャンプに備えて色々と準備をするなど。
■8/17(月)-18(火)
・お盆休み5日目&6日目。これも色々と悩んだがアウトドアなら大丈夫だろう、との判断で河口湖エリアのキャンプ場「リトリートキャンプまほろば」へ。
webサイトのデザインも可愛く、スペースにもゆとりがありそうだったのでチョイスしたが、これが大正解だった。テントサイトから富士山をばっちり望めるグッドviewです。
割高だけれど、フロントでは地ビールも買える。
炊事場もご覧の通り綺麗。写真はないけれどトイレもシャワーも申し分なし。夫婦・ファミリー単位におけるキャンプ場の最適解を早くも見つけてしまったかもしれない。
さすがに真昼の陽ざしは厳しかったが標高900mエリアにあるので風は涼しく、日陰さえ作れれば快適に過ごせた。あまりに快適過ぎて油断してしまい、2カ所ほどブヨにやられたことが悔いではある。
■8/19(水)
・現実復帰。色々な打合せをこの日まで引っ張っていたので終日バタバタとしていた。楽しみにしていたデイリーポータルZの日誌が届く。初代ポケモンのジャケットみたいな赤と緑。
■8/20(木)
・うだうだ言って引き延ばしてきたGABAを再開する。リモートで英語を話すという経験自体に戸惑いまくり変な汗が出る。案の定、ぜんぜん言葉が出てこない&舌が回らないで自分自身に失望する。も、やる気は出る。自分の負けず嫌い精神はこんな時によく働くので悪くないなと思う。
■8/21(金)
・ちょっと緊張するケイパ案件をこなす。割合好評だったようで嬉しい。
・軽く手伝ってほしいと呼ばれたプロジェクト、話をよくよく聞くと地雷案件だった。呼ばれたからには出来るだけのことをしたいと思うが、社内でだまし討ちは止めてほしい。
■8/22(土)
・愛用のメガネが壊れる。いつものようにレンズを拭いたら真ん中からいった。バキッとかそんな手ごたえは全くなく、ポロっと自然に。
あんまりにも呆気なく折れたので、自然と笑えてきて適当に遊ぶ。
どうしても眼鏡だけは良いものが持ちたくて、金子眼鏡さんへ。色々と悩んだ末、ベーシックな黒縁のものを購入する。出来るまで1週間ほどかかるので、その間をしのぐ安価なものもついでに、となってjinsでもひとつ購入した。5,000円で即日渡しはやはり強い。というかデザイン的には今っぽくてお洒落なのはこちらではないだろうか。眼鏡界のユニクロである。昔はZoffも変わらなかったと思うんだけれども、すっかり差がついてしまった。慢心、環境の違いというやつである。