初恋の嵐/どこでもドア

初恋の嵐というバンドがいる。
 
ギターボーカル西山達郎、ベース隅倉弘至、ドラム鈴木正敏の3名で構成されたシンプルなスリーピースバンド。メジャーデビューを目前に控えた2002年春、ギターボーカル、そしてソングライティングを担当していた西山さんが夭折をする悲劇があり、残念ながら新譜を聴くことは叶わない。とか思っていたら2016年に未発表音源を基にしたメジャー2ndアルバム「セカンド」がリリースされたのでぶったまげて2枚買いした。後にも先にも人生で同じCDを2枚買ったのはこれだけである。
 
そんな初恋の嵐には私のような一般リスナーに加えてミュージシャンのファンも数多く、また残された2人のメンバーが音楽活動を続けられており(余談だが隅さんを初めてお見掛けしたのは斉藤和義のライブだったりする)、そのご縁も重なってのことだろう。綺羅星のようなゲストボーカルを迎えてライブを行ってくれることがある。これまでいくつか素晴らしいライブを見せてくれた。2017年にふたたび活動休止に入ってしまっていたが、2020年6月7日。コロナで大変なことになっているこの状況下で、配信ライブを開いてくれたのだった。
 
今回のゲストボーカルは岩崎慧(セカイイチ)クボケンジ(メレンゲ松本素生GOING UNDER GROUND)のお三方。もちろん全部良いんだけど、ちょうど1:07:00から始まる「真夏の夜の事」は本当に珠玉なので、それだけでもぜひ。※6月10日現在ではまだ観れます。
 
そしてこのライブで、最後に演奏されたのがタイトルにも書いた「どこでもドア」だった。隅さんがMCでちらりと言われていたが、初恋の嵐は本当に暗い曲が多い。バンド名に相応しくしょっちゅう失恋をしている。でも、結構特徴的だなと思うのが「あの日に戻りたい」的なことを歌わないこと。ネガティブだし、いじけてるし、ひねくれているのだけれども、いまこうして感じている心の痛みこそが自分自身なのだと言っているような。なかったことにだけはしない、という決意のような。妙な力強さがそこにある。
 
この曲も初恋の衝動を歌ったものだろう。ただただ、翻弄されている男の姿が浮かぶ。どこでもドアのような便利なものはないけれど「それでもそばにいる」「それ以上泣かないでおくれ」と歌う、ロマンチスト全開の男の姿が。そして悲しいかな、どうにも上手くいく恋のようには思えないのだけれども、初恋とはそんなものであろう。大体古今東西紐解いてみても、初恋なんてものは好きだよと言えずに終わったり、小さな仕草にいつも惑わされたり、よしんば上手いこといったとしてもタバコのフレイバーのする最後のキスで終わったりするものなのだ。
 
タイトルがドラえもんひみつ道具であることは自明だろうけど、なんでどこでもドアにしたんだろうな、とふと思う。スペアポケットはチートだから無しとしても、やっぱりタイムマシンが欲しくない?未来も過去も自由自在に行き来ができて、やり直し放題。打算的なことを言うと、歌にすることだってきっと出来たはずだ。「タイムマシンはこない」じゃないけれども。
 
でも、西山さんはどこでもドアを選択した。そのことになんとなく意思を感じる。繰り返しになるが、いま感じていることは忘れない、無かったことにしない、という意思。
 
最後にこの曲を演奏する前に、隅さんはこうも言った。 
「なんかこの曲が今の世の中的に歌詞の世界観とかリンクする部分もあって(中略)明るい未来に向けて、この曲を。最後やれたらいいなと思って。」
 
コロナという禍によって、わたしたちは時間を戻せないことを痛いほど思い知った。タイムマシンはない。でも発展したネットワークの力は、例えばこうしたライブ配信のように物理的な距離を超えてくれる。それはちょっとしたどこでもドアみたいなものではないだろうか。これから一体このドアはどこに繋がり、どうやって世界を広げてくれるのか。その答えはわからないけれど、なんとなく明るい未来が待っている予感はする。そして、いま感じていることを決して忘れないようにしたい。なんだか、初恋の嵐はずっとそう言ってくれていた気がしたのだ。
 
とりあえずここから出て行こうぜ
思い描く未来で会える日を楽しみにしています